リアル脱出ゲームの公演がよく無責任に僕らの日常を応援する理由
結論
リアル脱出ゲームの生みの親である加藤隆生は「今ある日常こそが(少しの工夫があれば)素晴らしい」としている。
寿司屋に行って「寿司しか出ない」と言っているのと同じ。
3行まとめ
・没入度が高い謎解き公演は他の作品に比べて最終的に徒労を提供しにくい
・電子ゲームに比べて「ゲームを続けなければならない外圧」の高さ
・公演自体の構造的な問題もあるが製作者が意図している最終的なメッセージは日常を応援するものに着地する
謎解いてますか?公演行ってますか?
比良坂右京です。自分は謎の趣味は8年前からやってて謎公演は月2~3回ほど行きます。
今回は脱出ゲームでよく聞く「最終的なメッセージ」についての考察をしたいと思います。
この「最終的なメッセージ」というのは、公演の最終盤やエンディングムービーなどで伝えられるものを指します。
みなさんもお気づきの通り、結構我々を応援するポジティブなものになりがちです。
「日々を大切に生きよう」「助けてくれてありがとう」「世の中はそんなに悪くない」等々…
メッセージとしては平易なものに落ち着くことが多いです。(特にストーリー性の高いものがそう)もしくは、単純に脱出しておめでとうというもの。(これはストーリーがあまりない公演に多い)
結構な回数公演に行っていると、エンディングを待つ際に「またいい感じのエンディングなのかな…?」と思う場面もなくはないです。もっと破滅的なエンディングがあってもいいのにと。
どうしてこうなってしまうのか。
これは、公演型脱出ゲームの構造上の問題がついてまわるからです。
まず、公演型脱出ゲームは没入度が高く、他のエンタメ作品に比べて最終的に徒労を提供しにくいです。
「主人公は君だ」と銘打っている通り、プレイヤーと作品との距離がかなり近しいです。また、これまで提供する団体(特にSCRAPは)「謎を解けばストーリーが進み、最終的に危機的状況を脱出できる」というフェアなルールを設定してきました。
つまり、公演でやったことが裏目に出る、やっても無為になるようなものが提供しづらいわけです。
ちなみに以下は、自分がTwitterでアンケートしたものです。
例えば映画の『ミスト』を下敷きにした謎解き公演(謎を最後まで解いても救いがないどころか脱出したこと自体が状況を悪くさせる)
— 比良坂右京@コミケ抽選漏れ (@runasa) 2019年11月3日
みたいなのがあったらやりたいですか?
(事前にそういう悲惨なラストになることは警告されるものとします)
58%の人間がやりたい、42%がやりたくないを選択しました。
個人的にはもっとやりたいを選択する人間が多いと予想していたのですが、これは自分のフォロワーの層にも寄るのかもしれません。(層としてはTRPGプレイヤーが多め)
また、システムの構造上の話をすると、公演型脱出ゲームは非常に途中でやめづらいゲームです。
安くもない参加費を払っており、他人と協力し、100分程度拘束され、好きなときにトイレにもいけません。冷静に考えるとかなり異常な娯楽です。
この構造は「この公演あんまり面白くないから、合わないから途中でやめよう」という途中退出を難しくしています。つまり、「途中退出が起こらないような展開」をシステム側から要求されているのです。没入度が高くなる脱出ゲームでは、人によって好みが分かれるような展開を配置しづらいのです。
これが電子ゲームならコントローラーを放り投げることもできるのですが。
また、インタビューで加藤氏は
「僕が目指しているのはお客さんが今ある日常から目を覆うのではなく、その日常こそが素晴らしいんだって気づくこと。」
「みんなの住んでいる日常だって、少しの工夫があれば素晴らしいテーマパークになるんです」 リアル脱出ゲームのすべて p.26
と言っている通り、参加した人間の日常が脱出ゲームによって変わることを目標にしていますし、それはエンディングで流される曲が「ものがたりのはじまり」であることにも現れています。
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個人的にはちょっと違う感じのものをやってみたさはある(リアル脱出ゲーム『ミスト』とか、リアル脱出ゲーム『Spec Ops: The Line』とかリアル脱出ゲーム『JOKER』とか)反面、やっぱり「謎解いてゲームを進めたのは無駄だったな」となるのは心情的にしんどいものがあります。
みなさんはどう思いますか?