捏造ミステリーがいかに「謎の解明を楽しめる」エポックメイキングなゲームだったか

※この文章は、『捏造ミステリーTRPG 赤と黒』の発刊1年を記念して書かれた、捏造ミステリーがいかに「謎の解明を楽しめる」エポックメイキングなゲームだったかを解説する文章です。個人的な見解ですので、温かい目で見ていただければ幸いです。

・序文
謎を解くという行為は、可能性を棄却し続ける遊びです。

それに対して、TRPGはシナリオやキャラクターの解釈を汲み取り、設定や判定の結果を解釈して盛る……拡散させることに対して相性のいい遊びです。

従来型のTRPGは基本的に、キャラクターの立場から、彼もしくは彼女の現実にPLは関与しなければならないため、ミステリーとして遊ぶ場合、

・どこに情報があるかを考える必要があり(フェアなマスタリングとして選択肢を提示することができたが、それがなくても文句は言えない)

・なおかつ情報を得るために判定をする必要(不確実、必ず情報が得られるわけではない)があり、その得た情報が正しいという保証もなく(犯人の偽証による可能性)、

・更には得られなければならない情報もすべて得たかどうかもわからず(情報が全て出ているか不明、構造的に後期的クイーン問題と似たところがある)

・なおその推論を演繹するチャンスは1回きり(基本的にセッションの流れは不可逆で、一度出した結論が違うからといって推理を撤回して違う犯人を捕まえに行く等が出来ない)

という、致命的なまでの相性の悪さを抱えていました。(これが大きく推理小説と違う部分)

そして、これまでにTRPG内で情報の取り扱いや不可解な事象を調べるに当たって、以下のメカニクスが採用されてきました。

 

・情報項目の提示
何を調べなければいけないのか明確化したが、それを調べるに至る道筋はPLの演出に委ねられたので(その世界に生きるキャラクターとしては不適切で)自販機と揶揄されました。

 

ハンドアウト化(インセイン等)
枚数がメタで(PLにも)認知出来るようになり、よりシナリオの道筋を辿ることが遊んでいる人にも自明になりました。そのアンチテーゼとしてゾーキング(判定を介在せずに存在を指摘する)だけによりハンドアウトが現れるシナリオが作成されるようになり、結果的にアンフェア化したシナリオもありました。
(なお、ここでの「フェア」とは特殊なことをせずとも判定をしてハンドアウトを調べさえすればシナリオのクライマックスや真相に辿り着けることを指し、
「アンフェア」とはゾーキング等の、PLが自発的にシナリオ内から想像して情報を探さないと真のにたどり着けないシナリオを指します)

 

・魔法の調査能力を与える
偽証等の可能性を解決したましたが、犯人がその能力を行使しても不自然ではなく、なんでもありの構造になり、謎解きの構造を解き明かすミステリーよりも、殺人事件等の極限の状況を楽しむサスペンスに近いものになりました。

 

・マーダーミステリー
キャラクターXしか知らない情報をそのキャラをプレイしているPLに秘匿されると推理が演繹できない場合があり、また、ゲームの構造上基本的に犯人が容易な推理によって演繹されると最後の犯人当てゲーム(フーダニット)が成り立たなく、更に他のキャラクターが同時並行で目的を果たそうとしていることと、犯人当てを難しくするための物証(デザイナー側から意図的に犯人がバラけるように複数人に怪しい物証をカード等で情報化する)もあって推理が困難になる場合がある
ため、これもやはり収斂ではなく拡散していくゲームと捉えています。

 

捏造ミステリーはこれを
・PC自体のメタ構造化(事件を調査する魔術師という、推理小説を読んでいる人、に近い構図)
・偽証の有無の明確化(キャラクターや物証が知らない、カン違いしていることをGMに直接問いただせる、初期宣言でのルール化)
・情報を確実に得られる(トランプでの判定)
・演繹するチャンスを何度も与える(答えるべき問題の明確化、調書のシステム化)
で解決しており、さらに進捗に応じたヒントがでるようになっている(秘密の脚本)

TRPGの拡散する長所(捏造によるドタバタ劇)すらも併せ持ち、ミステリーの謎解きをも楽しむことができるゲームに仕上がっています。

 

結論

新時代のTRPGシステムである捏造ミステリーを皆やろう。